勝者から学ぶな。
本質を学べ。
風間八宏語録 一覧
風間八宏が、選手に、指導者に、スタッフに、伝えてきた言葉たち。(随時更新予定)
経験と感情は、流されたら不要なもの。
扱えたら大切なもの。
扱えたら大切なもの。
君の変化は、変えられたのか?自ら変わったのか?
それはさほど重要ではない。
前に進んでいることだけを確かめろ。
それはさほど重要ではない。
前に進んでいることだけを確かめろ。
慌てない。
急がない。
今見えているものを確認しろ。
急がない。
今見えているものを確認しろ。
“速い”が作れるか?思えるか?
指導は瞬発力。今日1日でうまくなる。明日も1日でうまくなる。持久戦ではない。
資格を保証にするな。
資質を高め、進む道を保証にしろ。
資質を高め、進む道を保証にしろ。
不自由は自由を広げる。
理論と方法が必要なのではない。
理論と方法によって、はっきり見える“目”を作ることが最も必要だ。
理論と方法によって、はっきり見える“目”を作ることが最も必要だ。
ボールは素直だ。上手いやつの言うことを聞く。
ボールをなめるな。技術をなめるな。
ボールをなめるな。技術をなめるな。
ペナルティエリアの中に20人入ったって、できればフリーになれる、というのが「止める・蹴る」。
ボールを扱うことは相手を扱うこと。
トレーニング=選手をうまくできたかどうか。
プログラムをうまくできたかどうかではない。
プログラムをうまくできたかどうかではない。
進むことを怖がれば過去に飲み込まれる。
進むことを楽しめれば経験が後押ししてくれる。
後ろへ戻ろうとすれば過去。
前に進もうとすれば経験。
考え方を変えれば全てが変わる。
過去に戻るな、経験で進め。
進むことを楽しめれば経験が後押ししてくれる。
後ろへ戻ろうとすれば過去。
前に進もうとすれば経験。
考え方を変えれば全てが変わる。
過去に戻るな、経験で進め。
偶然はない。全ては日常にあり、技術にある。
指導者は表現者でなくてはいけない。
恐怖心を上回れるのは楽しもうとする心。心は頭の中にある。
それから考えないそれ
サッカーから考えないサッカー
それを考えないそれ
サッカーを考えないサッカー
サッカーから考えないサッカー
それを考えないそれ
サッカーを考えないサッカー
望み方がわかれば思いは叶う。望めるように導くのが指導者の力。我々の技術をもっと高めなければといつも思う。
修正じゃない。あるのは進化だけだ。
速い相手、強い相手、大きい相手でも、体に触らせなければ何も変わらない。
量からしか質は生まれない。
いつでも変わらないようにやれるということはいつでも変われるということ。
見なければもっと見える。
なぜ劣っていることを探す。勝ることを見つけろ。
相手を外す技術を身につけると、相手が全て場所になる。
向かい風を止めることより、追い風を起こすことを考えよう。
自分にしか見えないものがある。孤立は特別の入り口。
トレーニングは相手を圧倒するためのもの。
人のせい、もののせいではない。
もっと自分に期待しろ。
もっと自分に期待しろ。
サッカーのおもしろさは、やれることを考えてつくるより、やれないことをやれるように考えてつくっていくこと。
足にはまだ多くの可能性が隠されていると思います。
足にはまだ多くの可能性が隠されていると思います。
手のように足が使えれば、と考えていた子供時代。
足の方が手よりもすごいと気づいた高校時代。
頭が望めば限りなく技術は上がると思える今。
考える楽しさ、やる難しさ。
どちらも同じ難しさ、楽しさ。
足の方が手よりもすごいと気づいた高校時代。
頭が望めば限りなく技術は上がると思える今。
考える楽しさ、やる難しさ。
どちらも同じ難しさ、楽しさ。
取られるよりマシと考えてバックパスするのは「知識」にしかすぎません。成功で終わらせたいと考えて工夫するのが「知恵」です。過去の情報の中から選ぶ人と、自分の頭で考えられる人の違いです。
多くの人はプロ選手に教える方が子どもに教えるよりも大変だと思うかもしれない。でも、実際は子どもに接する時の方が、指導者は感性を研ぎ澄まさないといけない。
自分としっかり向き合っていない相手には、あまり「伝えない」ほうが伝わる。
自分自身を見つめているなら、伝えても「伝わる」。
自分自身を見つめているなら、伝えても「伝わる」。
システム論はクラブが大きくなればなるほど“人”なんです。例えば、あのポジションというより、あの選手のプレーになる。こぢんまりとまとまるのではなくて、全員の大きな個があって、目を合わせる作業になります。そこへ入れない選手は枠には入れませんよという組織です。
私が一番ワクワクするのは、周りの人たちが「それは無理だろう」と言っている時です。「できない」と言われると、「じゃあ、やってやろうじゃないか」という気持ちが湧き上がってくるのです。
怖い時も、苦しい時も、悲しいことも、寂しいことも、ボールを蹴れば忘れられた。ボール一個で悩みが解消するように感じられ、ますますサッカーボールが離せなくなっていく自分が分かった。
プロと表現しても“正体”はそれぞれ異なっている。哲学だってもちろん違う。だからこそ、挑戦するのが面白く、楽しいのであって、決して向こうから手を差し伸べて、どうぞと近寄ってくることはないのだ。